2006年08月27日
講演者=私がウルウル?
先週、ある財団法人の企画により、講演会に招かれた。
求職者対象の講演だった。
時間もクライマックスに入ったところで、経験談を語っている自分がいた。
締めに、「マザーテレサ」詩と「宮沢賢治」詩の朗読でしめようとモーツアルトの
BGMで語った。
これまで笑いの渦だった会場から、すすり泣きなき?が聞こえてきた。
贈ることばを30秒でいい始めた。
世の中求人情報には30歳まで、35歳まで、40歳までとのうたい文句が多い。
でも、諦めないで欲しいと言った。
実際、私も20年間勤めた企業を止め、1年間のボランティアでお金も使い果たし
気がついた時は、食べていく糧もなかった。
そのとき、求人情報を頼ることもなく専門学校の扉を叩いたのだ。
「毎年その学校は35歳までしか採用していないと言う」
記憶の中では、そのようなうわさも採用者の声も同じだった。
しかし、私は戸籍上42歳だった。(今は自称27歳のオードリーだが)
にもかかわらず、すぐに来て欲しいとの連絡あり。
「必要とされていたのだ。すぐに、バカ素直に思い込んだ」
そのときがあったから、今がある。年齢で決める企業に行かなくてもいい。
と私は皆に語った。
いや、人は年齢じゃない。幾つになっても必要とされている人がいるんだ。
京セラの稲盛会長の話しも脳裏に浮かんだ。故三浦綾子さんの初代秘書との
会話も・・・・・・・・。終りには、わが子の中学生時代のコメントまでも淡々と・・・・
個人的な恐縮な話し
ある日、受験を前に中3の息子が言った。
「お母さん、世の中には社会的レベルが高い職業と言われる医者や弁護士、経営者、
公務員、先生・・・」たくさんあるけれど、
僕が、一番素敵だと思える仕事は、どんな仕事でも人に迷惑をかけず汗水流して
誠実に働いている人なんだよ。・・・・・・例えば、清掃業に携わっているおばさんやおじさんも
素晴らしいと思う。
だから、僕がどの高校へ行こうとも浪人組みになっても何も言わないで
目標に向かわせてほしい。
私は、どの高校でもいいと思った「大切なのは、高校ではなくこの子が成長
していること」だった。・・・彼なりに証をみせてくれたのだった。・・今の成長ぶりはまあまあ。
偽善者としての話しではないことを読者は理解していただきたい。
講演会の場は、子育ての真っ只中のお母さんたちや、50代でリストラにあった人たち
さまざまであった。・・・・・・・・それゆえにきっと、脳裏に浮かんだのだと我ながら思った。
6年前から、私なりに講演をしてきたが講演者本人が涙したことは始めてだった。
(少々のウルウルはあったが、今回は忸怩たる、恥入る自分がいた。)
何とか、今日の講演は終わったのさ・・・・玄関口まで追っかけてきて質問をしてくれた
皆さん、ありがとう。
世の中、まだ捨てたもんじゃない・・・・・いつも思う肯定語なのです。
Posted by あらき at 08:20│Comments(0)
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